MENU

手術0日-2

「〇〇さん、〇〇さん」という声で目が覚めた。ゆっくりと、重い瞼をこじ開ける。「ああ、生きてるな」と思った。 劇的な感激や感動があったわけではない。けれど、ただ事実として「生きていること」が確認できた。麻酔の影響で頭はひどくぼーっとしており、周囲に人がいることは分かっても、それが誰なのかまでは判別できない。後から、あの時の声は主治医の先生だったのだと分かったが、その時はまだピンと来ていなかった。

これも後日、先生と話して知ったことだが、私の第一声は「今、何時ですか?」だったらしい。 前日の夕方、形成外科の先生から「すべてが順調に進めば5時間、長くても8時間ほどで終わります」と聞いていた。身体への負担を考えれば、早く終わるに越したことはない。根っからのせっかちな性格もあって、無意識に時間が気になったのだろう。 時刻は14時前。約5時間で手術は終わったようだった。「痛みはありますか?」「辛くないですか?」と聞かれた気がするが、特に痛みも感じず、ただ意識が重いことと問題ないことだけを伝えて、私はまた眠りに落ちた。

手術室横の回復室から自室へ戻るまでの記憶は、一切ない。 次に意識が戻ったのは、ストレッチャーから自室のベッドに体をうつしてもらうときだった。声掛けされ体がベッドに移動され、ひざ下にクッションがわりの丸めた布団をさしこんでもらい、上半身は傾斜をつけて横になった。移動のさいに特に痛みはなく、身長168センチほどある私を華奢な女性看護師二人が移動させてくれた。自分なんだけれども体に力ははいらず、えらく重い感じだけが記憶に残っている。 次に意識が戻ったのが何時ごろだったかはっきりとは覚えていないが、外はもう暗くなっていた。看護師さんにスマートフォンを取ってもらい、娘に電話をかけた。右胸を全摘しているので、動かしやすい左手で持つ。いつものスマートフォンが、ずっしりと重い荷物のように感じられた。

なんとか片手で操作してコールを鳴らす。娘は蚊の鳴くような、かすれた声で「もしもし」と電話にでた。何をはなしたかおぼえていないが「うん」「ううん」としか返さず、あまり会話が弾む感じではなかったが、彼女なりに不安な時間を過ごし、ようやく解放された直後だったのだろう。 何を話したかほとんど覚えておらず、娘に後で確認したところ、通話中に担当医が回診に来たため「先生が来たから切るわね」と言って私が一方的に切ったらしい。言われてみればそんな気もするが、どの先生が来たのかさえはっきりしないほど、朦朧としていた。

手術当日は水分も取れず、身動き一つ、寝返り一つ打てない。私の記憶にある限り、人生で最も不自由な夜だった。 硬膜外麻酔が効いているため痛みはほとんどなかったが、創部(傷口)を固定するために貼られた大量のテープによる圧迫感と違和感が、最大のストレスだった。次いで辛かったのは、動けないことによる腰や背中の痛みだ。 2時間に一度はナースコールをして、水分補給を助けてもらったり、背中の圧迫を抜くために姿勢を微調整してもらったりしていた。たった一晩で、これほどまでの苦痛を感じるとは。「寝たきり生活」には到底耐えられそうにない。自分の力で身動きが取れる健康状態を維持することへの決意が、より一層強まった。お腹が空くことはなかったので食べることは問題なかったが口が渇く感じと水分不足がやっかいで何度もスポンジブラシで口腔ケアをしてもらった。実際に体験するまではいったい何をしてくれるのだろう、水飲めないのに、意味あるのかなと疑っていたが、ないよりは全然よかった。

事前に「痛みが強まりそうなら、自分でボタンを押して麻酔を増量してください」と言われていた。なんとなく痛みが出そうな予感がして数回押してみたが、私には少し強すぎたようだ。痛みは引いたものの、今度は吐き気が込み上げてきた。結局、吐き気止めを出してもらい、麻酔の増量の代わりに別の鎮痛剤で対応してもらうことにした。 こうした些細な体調変化やリクエストに、てきぱきと応じてくれる看護師さんには心底感謝した。こちらの不快感の申請に、じゃあこうしましょうか、ああしましょうか、と的確な提案をしてもらった。せっかちな私にとって、要望を待たされるのはとてつもないストレスなのだが、ほぼストレスなく対応してもらったおかげで、不自由な夜をなんとか耐え抜くことができた。それでも、寝返りが打てない不愉快さだけは、もう二度とごめんである。

手術後、数時間おきに看護師さんや形成外科の先生が、再建した胸の血流チェックに来てくれた。 「チクっとしますよ」と声をかけてくれるのだが、実際にはまだ神経が通っていないので、刺されても全く分からない。触れられているのかどうかさえ怪しい。自分の体でありながら、自分の体ではないような、そこだけぽっかり穴が開いたような、それでいて重いような。なんとも不思議な身体感覚だった。

もう一つ、不愉快だったのが血栓予防のためのフットポンプだ。足に自動で空気圧をかけるマッサージ機のようなものだが、これが付いていることで足全体が拘束されている感覚になり、不自由さがより増幅された。これに拍車をかけるのが、機械を装着するためにストッキングのようなハイソックスをはかされていて、最大の元凶はこのソックスだった。

さらに運の悪いことに、術後に生理が始まってしまった。更年期の私は生理前に体温が上昇する傾向があり、その夜もとんでもなく暑くなった。自分で布団を動かすこともできないので、ナースコールをして布団をどけてもらい、エアコンを切って暑さをしのいだ。予定より遅れて手術日と重なってしまったことは、唯一コントロールしきれなかった点だ。

手術当日ということもあり、担当医師4名全員が様子を見に来てくれたのは心強かった。他にも多くの患者さんを抱えているだろうに、それぞれが時間を作って顔を出してくれることがありがたかった。 自分の傷の状態を自分で確認することが難しい私にとって、医師たちが患部を確認して「大丈夫です、問題ありません」と声をかけてくれることは、何よりの安心材料だった。基本的にはうとうとと寝ていたが、巡回の気配や、足の機械の動きで何度も目が覚める。 その日はただ、早く時間が過ぎることだけを祈った。目が覚めるたびに時計を見て、「あと1時間……あと2時間……」とカウントダウンをするように、病棟の起床時間を待ちわびていた。窓からみえる、東京の夜景をうざいとおもってしまった夜であった。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次