睡眠コントロールがうまくいき、今日は7時間ほど眠って予定通りに起きることができた。ルーティンをいくつかこなし、お風呂に入る。今日は急ぎでやりたいことがあったため、湯船での読書は控えてさっさと上がることにした。ところが、身支度を整えて朝食の準備に取りかかろうとした瞬間、ものすごい倦怠感に襲われた。立っていられないほどで、朝食を作って食べる気力すら失われていく。 ソファーに腰を下ろし、Fitbitをチェックしてみた。すると、入浴中に60弱だった心拍数が、一気に109まで跳ね上がっていた。心拍数は徐々に落ち着いてきたが、この急上昇が倦怠感の正体だったようだ。
湯船の温度が特別高かったわけではない。毎日同じ設定なのだが、今日はなぜか体に強い負担がかかったらしい。Geminiに相談したところ、「血糖値スパイクと同じように、体が休息を求めている状態。横になるしかない」とのアドバイス。せっかく早起きしたのに、私はまた布団へ逆戻りすることになった。 15分ほどで起きるつもりでアラームをかけたが、結局2時間ちょっと眠ってしまった。当然、罪悪感は覚える。しかし、それとは裏腹に目覚めはすこぶる良く、体はすっきりとして活動しやすい状態になっていた。
何が原因でこうなったのか理解に苦しむが、とにかく明日からはお湯の温度をさらに下げ、急激な心拍上昇が起きないよう注意しようと思う。早起きしても、このような事態になっては本末転倒だ。気を取り直して遅めの朝食をとり、仕事を再開した。十分な睡眠をとったおかげで、作業は予定通りに進んだ。
仕事とは別に、少し気になっていることがあった。それを可視化し、「何が気になっているのか」「どこが問題なのか」「それは本当に問題なのか」を確認することで、自分の中にある不安の芽を摘むことにした。 私はどちらかといえば、些細なことを不安に思いやすい性格だ。そんな自分が嫌で、克服したいと人生の大半を費やしてきた気がする。しかし、この性格への事前対応は今回の乳がん手術において、非常に役に立った。
もちろん「ステージが低い」という大前提はあるが、ある程度開き直り、淡々と対処していくしかないと腹を括れたのは、不安や嫌なことに対する「自分なりの解決方法」を確立していたからだと思う。 最初からそう考えられたわけではない。人一倍の心配性で、石橋を何十回も叩かないと渡れないような小心者なのだ。だが、心配したところで状況が好転するわけではない。「なんとか不安と上手く付き合えないか」と試行錯誤してきた結果が、今の自分なのだ。
もちろん現在進行形で意識しておかないと、「不安で夜も眠れない」という事態は起こりかねない。ステージ0や1で、再発の可能性はほぼ無いと言われていても、ふとした瞬間に「気づいていない癌があって、余命数ヶ月と告げられる」といった悪いストーリーが頭をよぎることもある。 私の頭の中は、常に忙しい。こうしたネガティブな想像と、現実的に前を向いてこなすべき仕事や雑用が入り混じっている。暇さえあれば不安が忍び寄るからこそ、あえて「暇を作らないこと」が、私の生きる目的なのかもしれない。
旅行、事業、新しい仕事。どんなことでも自分なりに予測を立ててプランニングし、実行を決意する。しかし、いざ動き始めると、とてつもない不安に襲われることがある。自分で決めたはずなのに、自分を信じられなくなるのだ。 人間は忘れやすい生き物だ。自分が「大丈夫だ」と納得した理由を、時々自分自身に説明し直さないと、もう一人の自分が不安に取り憑かれて暴走し始めてしまう。数年前も同じようなことがあった。大きな意思決定をしたものの、後悔し、夜も眠れぬ日が続いたのだ。今回も似たような心境になりかけていることを察知したので、今日はそれを回避すべく時間を割いてみた。 すべてが「結果オーライ」でうまくいくとは限らない。けれど、少なくとも「眠れぬ夜を過ごすほど大変なことではない」と再確認できたことで、前向きに頑張ってみようと思えるようになった。
「がん」になり、死という終わりをリアリティを持って感じたことで、無駄な不安に時間を取られ、本当にやりたいことができなくなることの「もったいなさ」を再認識できた。 巷で聞く「病気に感謝する」というフレーズ。今、その言葉が自分にも当てはまるような気がしている。

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